2024年10月21日のロイター通信の報道によると、インドと中国は国境紛争が続いていたヒマラヤの山岳地帯において、共同のパトロールをすることで合意した。地域の大国として存在感を示す両国による和平を歓迎する声がある一方、中印国境紛争の文脈で考察する論調は少ない。そこで本稿では、インドと中国の協調路線は新アジア主義が台頭する兆しであると主張する。
まず、中印国境紛争の始まりは1962年の軍事衝突であると言われる。遡ること数年前の1957年、中国領となっていたチベットで独立を目指す反乱が起きた。この「チベットの反乱」と呼ばれる動乱は中国軍によって鎮圧されたが、そのときに反乱の中心的な指導者であったダライ・ラマ14世がインドに亡命したことによって、中印関係は急速に悪化した。インドと中国は1954年に「平和五原則」をネルーと周恩来が結んでいて、その後のインドは米ソの両陣営のどちらにも属さない「非同盟主義」を標榜していた。しかし、インド文化の古い形式を現代でも継承しているチベットへの親近感が勝ったことにより、インドは中国と北部カシミールや東部マクマホン・ラインで武力衝突した。中国軍に全戦線で敗北したインドは非同盟主義を一時的に放棄して米国に支援を要請した。両国は1976年に大使を交流させるまで国交断絶が続いた。
好転したかに見えた中印関係が再び悪化したのは、2020年の武力衝突である。米国の支援をインドが受けたことによって、建国以来の宿敵であるパキスタンが中国に接近し、中印関係が不安定化したのである。ヒンドゥーナショナリズムによる国民的支持を受けたモディ首相は、高い経済成長率を背景に非同盟主義を主張していた。衝突が起きたのはカシミール地方に隣接するラダック地方であり、2019年にインド政府がジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪して直轄地とした際、地図上で中国側が領有を主張するアクサイチン地区をインド領としたことが、中国側を刺激したとされている。また、2023年9月23日から中国の杭州でアジア大会が開催され、インドも選手団を派遣したが、北東部のアルナーチャル・プラデーシュ州出身の女性選手3名に参加許可証が発行されなかった。中国側の言い分では、「中国はインドのアルナーチャル・プラデーシュ州を承認したことはなく、同地は中国側が命名したチベット南部地区である」と主張された。
このような経緯を鑑みると、2024年になってインドと中国が共同で国境地帯を管理するようになったことは、両国のみならず国際的に歴史的意義があると言えよう。中印が歩み寄った背景には、大統領選の結果に関わらずに米中関係が長期的に不安定化するという理由だけではなく、ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ地区への無差別攻撃によって、インドと中国が協調路線を取る機運が高まっていることを示していると言えよう。時代を遡ると、20世紀前半には日本の岡倉天心に始まるとされるアジア主義が、大東亜戦争の思想的根拠となったが、インドと中国という21世紀に台頭した2大国が結べば、今後の国際情勢に大きな影響力を持つであろう。筆者はこのような情勢を「新アジア主義」と呼びたい。
つまり、インドと中国がヒマラヤ山中を共同でパトロールするということは、中印関係が新しい段階に進んだことを示している。このことは日本も無関係ではなく、歴史的に関係が良好なインドと最大の貿易相手国である中国は、共にアジアの大国として日本を重要視している。3か国を繋ぐ新アジア主義は、ネルーが主張した非同盟主義を継承している側面もあり、多極化する世界において重要な役割を果たすであろう。
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